
シド・ヴィシャスといえば誰もがPUNK ROCKERと思うほどこれほど、パンクのイメージを強くもたらす人はいないでしょう。パンクはイギリスよりはやくアメリカでムーブメントがおきていましたでも、マルコムがアメリカから帰国してパンクファッションをつくりそれに似合う音楽を作ったのがSEX PISTOLSで、マルコムは商ビジネスとパンクロックを融合させて巨万富を手に入れたてことは この人が一番パンクな気がする。
そんなマルコムの一番の犠牲者、内気な性格とマザコン気質を持っていたシドについて検証してみました。
本名ジョン・サイモン・リッチー
1957年5月10日生まれ
通称 SID VICOUS 専門学校時代から友人であった、ピストルズのボーカル、ジョン・ライドンが、自分の飼っているハムスターの名前から付けられた。VICOUSは、ハムスターが凶暴だったことから意味を込めてつけられた。
パンクになる前はロッカーだったようでその頃の写真もSID FAMILYという写真集などで見かける事ができる。その後パンクロックムーブメントセックスピストルズの親衛隊(シド、スージ、ビリーアイドル、イアンスチュワートなどが有名)だったスジー・スーが率いるスージー&ザ・バンシーズに加入そのときはドラムをしていた。sex pistolsのヴォーカルのジョニー・ロットンと仲が良かったため、バンドマネージャーのマルコムマクラーレンとも仲が良かったため、初代ベーシストのグレン・マトロックの脱退後にベーシストとしてあっさり加入。かなり練習をするが、ベースが弾けるとはいいがたいほどのテクニックでライブ&ツアーをこなす。しかし、そんなシドも数曲の名曲を作曲している。アメリカでのツアー中にベースを弾けない事をなじられたと勘違いしたシドが観客をベースで殴りつけるシーンはとても有名。しかし、これらの事態と数々のトラブルもマルコムが宣伝用にしくんだとされる説がある。この頃からドラック中毒末期の兆しが多く見られていた。
そして、ジョニー・サンダースのグルーピーだった、ナンシーと出会うのもアメリカツアー真ただ中であった。当初ナンシーはピストルズのメンバーなら誰でも良かったみたいでシドのほうが熱を上げたといわれている。(後のインタビューではシドに一目惚れしたらしい)
この後、事態は急変するジョニー・ロットンがシドのあまりのひどいライブとマルコムマクラーレンのやり方、に嫌気がさして、ピストルズを脱退。のちのインタビューでもシドの事を良く言わなくなっている。マルコムの事は持ち前の毒舌でこき下ろしている。その後PIL結成。
1978年10月13日ニューヨーク、チェルシーホテルのバスルームで恋人のナンシースパーゲンの死体が発見され凶器のナイフがシドの所有物であったことからドラックで錯乱してシドが殺したとされているが、逮捕される、ヴァージンレコード会社が多額の保釈金を払って保釈されるが翌年の2月1日には麻薬の過剰摂取により死亡(自殺)した.ヘロイン摂取はイギリスにいた頃からといわれている。
シドの母親は、ナンシーの墓の隣に埋葬して欲しいという息子の遺言(ぼくらはいっしょに死ぬ約束をした。その約束を果たさなければ。彼女といっしょに埋めてほしい。革ジャンにジーンズ、モーターサイクル・ブーツをはかせて。さよなら。)を果たそうとするが、ナンシーの両親に拒絶された為にシドの墓を掘り起こして彼の遺灰をナンシーの墓に撒いた。
その後シドの母アン・ビヴァリーはマルコム・マクラーレンとの調停により1986年には25万ポンド、以後毎年10万ポンドをピストルズの印税として受け取っていたが、病苦に悩まされ、1997年9月3日に64歳で服毒自殺した。
しかし、ナンシーは本当は、メチャクチャな女だった、みたいです。いわゆる悪女、日本でいう所のさげまん。でも、シドはそこが良かったんだろう。シドもいつの間にかロックシンガーになってる所も凄い。ベースでの録音はない!ところがもっと凄い。(でも実際はジョニーロットン脱退後ボーカルを捜してセカンドアルバムの録音をする予定だった、なぜかジミーパーシーが候補に挙がっていた。)